ひかげでダンス

物書きをお仕事にしたい人。練習中。

障害は自分の中にもある、ということ

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幼稚園、小学校、中学校と、ずっと仲良くしていた女の子がいます。その子は生まれつき心臓の部屋が2つしかなく、運動ができない子でした。走ったりしちゃダメなの。体育もいつも見学とか、たしか見学どころか教室で他の勉強とかもしていた気がします。でも普通に遊んでいました。お互い絵を描くのが好きだったので、漫画を作って読みあったりしていました。

中学校から高校までいちばん仲良くしていた子は、あるときふっと「私リスカしてるんだ」と言ってゆっくり頭をもたげました。

当時64のゼルダの伝説を、彼女がコントローラーを握りしめて敵をなぎ倒し、私はそれをじっと見ていて、それがものすごく楽しかったのです。同じアーティストを好きになって、音楽番組を見てキャーキャー言って。テスト前には一緒に勉強して。そんな楽しい中でも、どこかで彼女なりに生き辛さを感じていたのでしょう。

詳細は覚えていませんが、私のことばに頭を上げたシーンは今でも思い出せます。

「そう思ってる人はたくさんいるみたいだよ、ひとりじゃないよ、異常なことでもないよ。何か困ったことがあったらいつでもくるから言って。」

そのことばで、なんだか彼女は救われたようでした。パターンによってはこう言ってはいけないのかもしれないけれど、その時私が言ったことばはその時考えうる中でいちばん彼女にかけたいことばだったし、彼女もそういうことを聞いてほっとしたようでした。



私は持病があって、毎日薬を飲んでいます。その副作用で、時々感情のコントロールが効かなくなります。朝起きて、なんでもないのに涙が出て止まらないとか、無性にムシャクシャするとか。

先日、およそ一週間ほど、感情のコントロールが効かなくなって連日会社をお休みしました。こんな些細な不調で休暇なんか取りたくないのに。悔しくてたまらなくなりました。

そのとき、ハッとしたんです。

例えば、生まれつき目の見えない人は、好きで目が見えないわけではありません。それが標準装備なのです。望んでもいない不自由を、自分ではどうすることもできない不自由を、常に、体に持っているのです。

このときの私も、そういう観点で見れば障害を持っていました。「感情がコントロールできない」という障害を。時間が経てば治るけれど、そのとき私は確かに障害を持っていました。

例えば「怒りっぽい」という性格は、障害になるのでしょうか。「おとなしい」というのはどうでしょうか。生まれ持っていて簡単には変えられない性格という、人の一部分は、障害と言わないのでしょうか。今時お堅い上司なんかが「こんなのパワハラじゃないよ」と飲み会に行くことを強要することも、下手したら障害なのではないでしょうか。クレームを言わずにおけない人は?


大なり小なりみんな、障害を負って生きているのではないか、と、泣きそうになりながら考えていました。「障害」ということばを使うとき「自分はそのカテゴリーには入らない」と思っていませんか。地震や台風が来ても自分だけは助かると思うように。アクセルとブレーキの踏み間違え事故をテレビでぼんやり見ている時のように。

あなたは、もしかしたら、とんでもない障害を抱えているかもしれないのに。

私は、障害と向き合って前向きに生きている人はいつだって美しいと思います。単に同情しているわけではなくて、弱さを受け入れ、克服しようとしているから。また、受け入れて生活している人も魅力的です。そういうことができる人は本当に少数です。五体満足でのんべんだらりと生きている人の中に、こういうことができる人が何人いるでしょう。逆に障害を持って生まれて、それに向き合えないまま生きている人だってたくさんいるのではないかという気がします。実際に会ったことはないけれど。


あなたも何か障害を持っているのでしょう。向き合っていますか。受け入れていますか。どんなに小さな命にも、そういう輝きがあるといい。そういう輝きを見出せるといい。